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手を動かせ!と指令する大脳皮質の仕組み 【玉川大学 礒村宜和】

礒村 宜和 教授 礒村 宜和 教授
玉川大学 脳科学研究所 脳科学研究センター


Address: 〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1
URL: http://www.tamagawa.ac.jp/brain/brain/index.html
E-mail: isomura[アットマーク]lab.tamagawa.ac.jp
Profile
いそむら よしかず 1996年大阪大学医学部医学科卒業。2000年京都大学大学院医学研究科脳統御医科学系修了。2000年 東京都神経科学総合研究所科学技術振興事業団研究員。2002年同研究所日本学術振興会特別研究員(この間、米国Rutgers大学G. Buzsaki研究室に留学)。2005年理化学研究所脳科学総合研究センター・脳回路機能理論研究チーム研究員を経て副チームリーダー。2010年4月より現職。神経科学、神経生理学 、大脳皮質・海馬や大脳基底核の神経細胞の活動についての研究を専門とする。





私たちが何か物を取ろうとして、えいっと手を伸ばすとき、いったい脳のなかでは神経細胞がどのような信号のやり取りをして正確な手の動きを実現しているのでしょうか? 大脳皮質の運動野 motor cortex と呼ばれる場所では、「どの方向に、どのタイミングで手を動かせ」という最適な随意運動の指令が作られると考えられています。その運動指令が脊髄の神経細胞を介して手の骨格筋を適切に収縮させるのです。実際、運動の準備・開始・実行の各段階で電気活動(発火)を示す神経細胞が運動野に存在することは30年以上前から知られていました。大脳皮質の神経回路は、相手細胞の発火活動を活発にする興奮性の錐体細胞 pyramidal cell と逆に低下させる抑制性の介在細胞 interneuron が各層で複雑に組み合わさって出来ています。この神経回路のなかで運動指令がどのように生み出されるかを知るためには、個々の神経細胞の発火活動を測定したうえで、その細胞が興奮性か抑制性かを特定し運動情報の流れをたどっていく必要があります。しかし、従来の実験技術では、動物の行動中に発火活動した神経細胞が、大脳皮質のどの層(第1~6層)に存在し、他の神経細胞にどのように作用(興奮または抑制)するのかを判別することは極めて困難でした。

そこで私たちは、発火活動を測定した神経細胞の種類や位置を顕微鏡で観察できる「傍細胞記録法 juxtacellular recording」と多くの神経細胞の活動を同時に測定できる「マルチユニット記録法 multiunit recording」をもちいて、前足を動かしているラットの運動野の神経細胞が運動情報を伝える回路機構を解明する研究を開始しました。傍細胞記録法は、単一の神経細胞にガラス管で作った電極を接触させて発火活動を安定して測定した後に、その電極から細胞へ微弱な電流をゆっくりと流して荷電したマーカー色素を細胞内に充填し、可視化された記録細胞の形態を顕微鏡で判別します。近年、傍細胞記録法を麻酔下や睡眠中の動物に使った研究報告は徐々に増えてきましたが、この記録技術を活発に行動している動物に適用するには技術的に改良すべき点が多く実現していませんでした。私たちは、これらの記録技術の問題点を一つずつ克服するとともに、ラットが前足の運動課題を効率良く学習できる訓練装置を開発することにより(特許出願)、傍細胞記録法を行動中の動物に適用することに世界で初めて成功いたしました(図1)。

図1
【図1】 
A) 傍細胞記録法の模式図。ガラス電極により神経細胞の発火活動を測定し(左)、電流とともに細胞内にマーカー色素を付加して可視化同定する(右)。
B) 傍細胞記録の例。ラットがレバーを引く直前に見られる発火活動の増加(左)と、その後、可視化して第5B層の錐体細胞と同定された記録細胞(右)。

その結果、まず、層構造をなす運動野のどの層の錐体細胞も、運動の準備・開始・実行などのいずれかの過程に個別に関与しており(multi-layer activation)、特定の層が特定の過程を受け持っている(layer-specific activation)わけではないことを証明しました。一方、介在細胞の半数を占める高頻度発火(fast-spiking, FS)細胞は、どの層の細胞も実行の過程だけで強く活動していました。このことは、抑制性細胞が興奮性細胞の活動を遮断(command gating)するのではなく、両細胞がともに活性化して運動指令形成の微妙な調整(command shaping)を行っていることを示しています。さらに、マルチユニット記録の解析から、準備・開始・実行の各過程に異なって関与する細胞が、数ミリ秒という瞬間に同期して発火するという興味深い現象も観測しました。この同期的発火の果たす役割はまだ不明ですが、神経回路上を運動情報が伝達する様子を反映しているのかもしれません。このように、活発に自発的な行動をしている動物に最新の生理学的研究手法を適用することにより、運動野の神経回路では興奮性の錐体細胞や抑制性の介在細胞がそれぞれの役割を遂行して運動指令を作り出しているという仕組み(図2)を明らかにしました(Isomura et al., Nat Neurosci, 12:1586–93, 2009)。 

図2
【図2】 随意運動の発現を担う運動野の錐体細胞と介在細胞の役割。すべての層の錐体細胞は運動の準備・開始・実行などの各過程における運動情報の処理に関与している。一方、介在(FS)細胞はもっぱら運動の実行に関与している。

このように行動する動物を対象として神経細胞の発火活動と形態を観察可能にした新しい実験技術は、運動機能の研究だけではなく、 視覚や聴覚などの感覚機能や、記憶・学習・判断・思考などの高次脳機能の研究にも幅広く応用することができます。さらに、遺伝子 導入により特定の神経細胞の活動を自在に制御できるラットやマウスや、高度な学習課題を習得できる霊長類などに応用することも可 能です。そこで得られる実験データを理論神経科学のアプローチで解析することにより、大脳皮質の神経回路に共通する基本的な計算原理を理解することも期待できるでしょう。また、この研究自体の成果である運動発現機構の知見は、脳損傷後のリハビリテーション法の改良や人間の動作に近づけるロボット工学、脳と機械をつなぐブレイン・マシン・インターフェースの開発などにも役に立つと考えています。


【大学院生募集】
平成22年春、著者(礒村宜和)は東京都町田市の玉川大学脳科学研究所に着任し、神経生理学の研究活動をさらに発展させることになりました。今回の研究のように、行動しているネズミの大脳皮質や海馬の神経回路を伝わる機能情報を最新の研究手法を駆使して詳細に解析することを目指します(共同研究:東京大学・松崎政紀先生および喜多村和郎先生)。そこで、本学に新設される脳情報研究科では脳科学研究に興味を持つ修士または博士課程の大学院生を募集します( 問い合わせisomura[アットマーク]lab.tamagawa.ac.jp)。