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セイコーエプソン・高温ポリシリコンTFT液晶パネル、液晶プロジェクタ


概要

パソコン、スマートフォン、デジタル時計、カーナビ、街中の電子看板、電卓、カメラのビューファインダー、プロジェクタの表示パネル、家電製品の表示…映像や画像、文字など、あらゆる情報を表示する機器に欠かせないのが液晶パネルである。技術の高度化と、供給価格の低廉化において熾烈な競争が繰り広げられ、世界中のメーカーが市場に参入している。有機ELやプラズマなど次世代のディスプレイも、ディスプレイ市場の中で液晶ほどの存在感を示すことができていない。
液晶を用いて情報を表示するための技術が、実際の商品となって新しい市場を創出した背景には、日本の企業による大きな功績がある。今回紹介するセイコーエプソンは、液晶技術が市場へ躍進する道程にマイルストーンを残した精密機械メーカーである。



高温ポリシリコンTFT液晶パネル

同社の液晶開発は、デジタル式クォーツ腕時計の開発にさかのぼる。1973年に発売された、クォーツウォッチ「SEIKOデジタルクオーツ06LC」である。時計の液晶表示は世界初であった。同時に電卓など、時計以外の液晶ディスプレイの開発も進められ、1975年には、電卓用液晶パネルの量産がスタートしている。1980年代初頭には、当時まだモノクロしか表示できなかった液晶で、カラー表示を実現させようという気運が高まり、液晶を利用した映像機器の研究・開発が始められる。1983年には、世界で最初の液晶カラーパネルを実装した、液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を発表した。このときに培った「高温ポリシリコンTFT液晶」の技術が同社のディスプレイ事業をさらに発展させる。
高温ポリシリコンTFT液晶は、小型で高精細の液晶ディスプレイである。現在、同社製の高温ポリシリコンTFT液晶は、電子ビューファインダー、3LCD方式(後述)プロジェクタ、ヘッド・マウント・ディスプレイ、3Dスキャナーなど、身の回りの様々な電子機器に組み込まれている。また、これらのメーカー向けに出荷されている同製品の中で、3LCD方式プロジェクタ向けのものは、2014年12月に累積出荷数1億枚を達成している。



大画面プレゼンテーションという文化を作った、液晶プロジェクタ事業


1980年代、ポリシリコンTFT液晶パネルを活用したさらなる製品を模索する中で、研究がすすめられた新規ターゲットの一つが液晶プロジェクタであった。1986年に、世界初の3LCD (liquid-crystal display)プロジェクタをアメリカのSociety for Information Displayで発表したところ、多くの人々の興味を引いた。
学会での反響に手ごたえを感じ、同社は本格的に事業化を進めた。そして1989年、第一号機となるビデオ用液晶プロジェクタ「VPJ-700」を発売した。その後、ビデオ用ではなくパソコン用のプロジェクタへとターゲットを転換し、1994年、世界初のデータ用液晶3板式プロジェクタ「ELP-3000」を発売。このころから、パソコンが急激に普及し、また、パワーポイントを用いてのプレゼンテーションが登場したことが追い風となって、同製品は急速に広まっていった。95年以降、2015年まで国内販売台数トップの座を他社に譲ることもなく、世界シェアは2001年から15年連続でトップ*1である。液晶・光源・レンズをすべて自社で製造し、オリジナルで高付加価値のある製品を実現しているのが同社製プロジェクタの強みである。
3LCD方式は、光源を赤、緑、青の3原色に分解することで、赤い映像、緑の映像、青の映像それぞれを作り、それらを再合成してスクリーン上に投射する方式である。



© Japanest NIPPON *写真は本文とは関係ありません。


3原色をそれぞれを明るく投射するため、白以外のカラー部分を鮮明に表示することができる。また、3原色それぞれを制御して1色を作り出すため、きめ細やかな階調表現が可能となり、自然なグラデーションが得られる。
液晶プロジェクタは、それまでプレゼンテーション機器の主流であったOHPやCRT方式のプロジェクタに比べ、圧倒的に小型で設置場所の自由度も高く、スクリーンサイズの調整幅も広がっている。パソコンやビデオ機器に直接つないで投影できる手軽さも画期的であった。
現在、多くのメーカーがこの方式のプロジェクタを生産している。家庭用、ビジネス用など幅広い分野に、手ごろな価格で広く普及するようになった液晶プロジェクタであるが、その草分けとなったのがエプソンブランドなのだ。

*1 500ルーメン以上のプロジェクター数量シェアにおいて(2001~2015年 Futuresource Consulting Limited調べ)



セイコーエプソンのDNA‐省・小・精のものづくり

セイコーエプソンのものづくりの源泉にあるのは、「省・小・精の技術」を徹底的に極める、ということである。それぞれ、“エネルギーを省く”、“モノを小さくする”、“精度を追求する”ことを意味している。この精神に基づいて、素材、部品、モジュール、そして完成品まで、さまざまなイノベーションが生み出された。そして、プリンタ、プロジェクタ、水晶デバイス、半導体、ロボティクスの分野で、他社製品に対する優位性を示してきた。

同社は、1942年に設立された時計の製造工場、大和工業に始まる。大和工業は、服部時計店(現在のセイコーの源流)のウォッチ製造会社、第二精工舎の協力会社として操業を開始し、セイコー腕時計の部品製造や組み立てを行った*2。以降、セイコーグループと強いつながりを持ちながら、微細加工や精密加工といった高度な技術を向上させ、精密機器メーカーとして成長していく。世界初のクォーツ式腕時計セイコーアストロン35SQを開発したのも同社(当時の社名は諏訪精工舎)である。
1964年の東京オリンピックでは、セイコーとともに、グループの一員として公式時計を担当する。オリンピックに向けて、グループ各社の得意技術に合わせて担当機器が分担され、諏訪精工舎はクリスタルクロノメーターを、同社の子会社信州機器がプリンティングタイマー(計時とともにその計時結果を用紙にプリントアウトできる装置)の開発に乗り出した。
その後、東京オリンピックは大成功に終わったが、製品開発に対する意気込みは萎えることなく、この時に培った水晶デバイスと小型プリンタなどの技術が、同社の多角化の道を拓いた。
飛躍のきっかけとなったのは、1968年に発表した、小型軽量デジタルプリンタ「EP-101」である。A5サイズほどの面積に収まる、手のひらサイズの画期的な小ささで、電子卓上計算機メーカーを中心に世界中で反響を呼んだ。累計販売台数は144万台にのぼり、同社は時計以外の新しい事業への手ごたえをつかむ。この成功は、世界市場への進出の足掛かりにもなった。エプソンというブランド名は、この製品に由来しており、EP(-101)のSonたちが広く世界で活躍するようにという願いが込められている。1975年に米国法人EPSON America Inc.が設立、6月には日本国内でEPSONブランドが発表され、1977年には最初の冠製品である会計事務専用コンピューター「EPSON EX-1」を発売している。
ブランド名にこめられた願いを一つ一つ実現していくように、同社は革新的な製品を次々と発表していった。

現在同社は、2016年から2025年に向けた10年間の長期ビジョンSE25を定めている。IoT時代の到来に際して同社が掲げたのが、「人やモノと情報をつなぐ」ことである。「人財」、「技術」、「生産」、「販売」、「環境」を、同社におけるあらゆる事業の基盤として、その上で、「プリンティング」「ビジュアルコミュニケーション」「ウエアラブル」「ロボティクス」の4つの事業領域とそれらのコアとなる「マイクロデバイス」のあわせて5つの領域で、これからの10年にとってのイノベーションを実現することを目指す。
時代は変わり、人々の求めるものも変わる。しかし、同社が脈々と受け継いできた「省・小・精の技術」のDNAは、これからも新しい価値を生み出し続け、同社を「世の中になくてはならない会社」たらしめるだろう。

*21944年、第2次世界大戦のさなか、戦火を避けるように第二精工舎が東京から諏訪の大和工業へ疎開し、第二精工舎諏訪工場が開設。諏訪工場は1959年に独立し、大和工業と合体して1959年に諏訪精工舎が設立される。諏訪精工舎は1961年に子会社として信州精機を設立し、信州精機は1982年にエプソン株式会社と商号を変更。1985年に合併してセイコーエプソン株式会社となり現在へ至る。



ライター:Hiromi Jitsukata
2016.9.24 執筆
http://www.epson.jp/company/
(セイコーエプソン株式会社)