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ユニクロ・世界トップシェアメーカーへの戦略


概要

概要
 現在の日本を代表するアパレルメーカー、世界に広く知られている「ユニクロ」の出発点は日本の本州の端に位置する小さな都市、山口県宇部市である。かつてここに、ユニクロ創始者である柳井正の父親が起こした「小郡商事」という名の男性向け衣料品メーカーがあった。この衣料品メーカーが、代替わりをきっかけに、世界に名を知られるアパレルメーカーへと成長していくのである。
 

 1984年に父親から小郡商事を継いだ柳井正は、同店の名称を「ユニクロ」へと変更し、店舗で取り扱う商品ラインを、紳士服などの男性向け衣料品から、老若男女を対象とした日常的なカジュアル衣料へと大きく転換させる。広島県に第1号店を開店以降、ユニクロは、「本当に良い服を世界中の人々に来てもらう」理念の元、国内外へ急速に市場を広げていく。

ユニクロの武器「SPAモデル」
 ユニクロのもっとも大きな特徴とは、商品企画・生産・物流・販売まですべてのラインを一貫して行うSPA(アパレル製造小売企業)モデルを確立している事である。このSPAにより、同社は高品質なカジュアルウェアを低価格で提供する事ができる。SPAモデルの確立により、企画された製品をより理想に近い形で量産し、スピーディに店舗に並べられる事、つまりアパレル企画・製造・販売の総合的なラインを自社で保有する事は、ファストファッションにおいてもっとも重要なポイントである。

グローバル企業への変身
 しかし同社は、良質のカジュアル衣料を“低価格”で提供する事に集中しすぎたため、カジュアル衣料の価格破壊ともとれる低価格競争を引き起こした。多くの人々に似合う服を追い求める余りデザインは無個性になりがちであり、その無個性さが同社の欠点と見られる風潮も起こった。また国内市場の開拓を急ぎ、国内店舗数を急速に増加させすぎた。

 そこで方向転換を図り、2004年頃には、従来のお手頃価格路線を堅持しつつも、有名デザイナーと積極的にコラボレーションを組んで多種かつ良質のデザイン性を獲得した。また、近年の同社ヒット商品としてよく知られる高度な保温機能を持ったアンダーウェアーシリーズ「ヒートテック」は、大手繊維メーカー東レとの共同開発によって生まれた。

 こうしてユニクロはSPAモデルを確立しながらも、商品企画の段階で積極的に外部と連携する事によって、自社のみによる弊害をなくし、製品のデザイン性や機能性の面において、大きな発展の余地を得た。

 SPAモデルの確立とデザイン性及び機能性の面における発展性を得たユニクロは、国内市場型から海外市場型へと、自社のビジネススタイルを転換させた。現在では大規模な世界展開を図り、特にアジア圏における普及速度はすさまじいものがある。同社の海外事業の売上高の内、およそ7割がアジア市場の売上高で占められている。

他、日本発のアパレルメーカーとして、フランス・ロシア・イギリス・アメリカなどへも積極的に進出している。2011年9月現在、同社の海外店舗数は186店舗に達した。現在も年間200から300店舗の出店ペース実現、海外市場での売上高が日本国内の規模を越える事を目指し、同社は今後もさらなる世界ブランド化を狙っていく。

(ライター:Eriko Kinashi)

2011.11.16 執筆

http://www.uniqlo.com/jp/
( 株式会社ユニクロ )