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Products (食品 - 香辛料)

キッコーマン株式会社・しょうゆ


概要

世界中を魅了するしょうゆの香り

どのような素材にも、料理にも和洋を問わず風味やうまみを与え、格段に味を引き立てる魔法の調味料、それがしょうゆ。味の要因である「うまみ」「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」の5つがバランスよく備わっており、また300種類以上からなる香りの成分もしょうゆのおいしさに深みを与えている。このような調味料はまさに奇跡ともいえるだろう。

そんな日本のしょうゆ生産をリードし、国内のみならず世界中にその魅力を発信しているのがキッコーマン株式会社である。国内でのシェアは約30%、海外では約50%であり、キッコーマン製のしょうゆがどれだけ多くの人に受け入れられているかが分かるだろう。

私たちの食卓に当たり前のようにあるしょうゆだが、このおいしさをいつでもどこでも享受できるのは、キッコーマンが国内しょうゆ産業の発展や、しょうゆの海外進出の最前線に立って指揮をとってきたからといえる。

しょうゆをおいしくする5つの要素

しょうゆ中には非常に多くの成分が含まれているが、これらが単に混ざり合っているだけではなく、長い熟成期間中に互いに作用しあって絶妙な調和をとることで、しょうゆ独特のおいしさにつながる。特に、味の基本要因であるうま味、甘味、塩味、酸味、苦味の5つすべてを強く持っているのがしょうゆの特徴的な点である。

様々な食材やハーブ、スパイスを用いて、5つの基本味が絡み合うソースを作る西洋の調味料とは大きく異なり、日本の醤油はとてもシンプルながら、一つで複雑な風味を出すことのできる調味料なのだ。
以下に挙げるのは、しょうゆのおいしさを作る5つの味である。

うま味
しょうゆのうま味は、大豆と小麦に含まれるタンパク質が、麹菌の酵素で分解され、約20種類のアミノ酸に変化することで生まれる。その中でも大豆から生成されるグルタミン酸は、しょうゆの旨味を出す上で大きな役割を果たしている。

塩味
しょうゆの塩分は、こいくちしょうゆで16~17%であり、海水の約5~6倍にもあたるが、その他の成分が塩味を和らげ深みのある味をつくりだすことでそれほど塩辛く感じさせない。

甘味
しょうゆの甘味は、小麦のデンプンが醸造中にブドウ糖に変化することで生まれる。その他にもガラクトース、キシロースなどが含まれ、しょうゆの糖分は約2~5%である。この甘味は、全体の味をやわらかくし、丸みを持たせる働きがあり、口に含んだとき、舌先にほのかに感じることができる。

酸味
しょうゆの酸味は、乳酸菌の働きによってブドウ糖が変化して生まれる。しょうゆには1%程度の乳酸や酢酸、コハク酸などの有機酸が含まれており、こうしてつくられた有機酸は、塩味を和らげ、味をひきしめる働きをする。

苦味
しょうゆ中にはイソロイシンなどのアミノ酸などの苦味成分も数種類含まれている。苦味を直接感じとることはなく、塩味や酸味と働きあって「コク」を与える隠し味的存在であるが、しょうゆの味をすっきりとひきしめている。

しょうゆの歴史とキッコーマンの誕生

世界の各地には、食品を何らかの形で発酵させて食べる習慣がある。日本にもさまざまな発酵食品が有史以前から存在していたようだが、その中で、大豆を麹と食塩で発酵させる食品が、しょうゆの起源に繋がっている。この穀物発酵食品は「ひしお」と呼ばれ7世紀ごろには、すでに現在の味噌のように食されていた。その過程で、16世紀から17世紀ごろに味噌にたまった液体を調味料として用いるようになったのがしょうゆの始まりだといわれる。

初期のしょうゆは主に紀伊半島や四国で作られ、16世紀の大阪ではすでに一般的になっていたが、江戸を有する関東地方では「下りしょうゆ(都から下ってくるしょうゆ)」とよばれ重宝されるものであった。しかし、このころのしょうゆは完成までに3年を要するものであり、当時の増加する人口に需要が追いつかなかった。
そこで考案されたのが工程を縮めて1年で出荷することができるしょうゆであり、これが現在のしょうゆの直接の起源である。1640年ごろのことであった。このしょうゆは江戸の住民の嗜好にもよく合い、しょうゆの生産はさらに増加する。

そのころ、キッコーマンの位置する現在の千葉県の野田は、原料となる大豆・小麦を産する広大な平野(関東平野)に位置していること、利根川、江戸川などの水路にも恵まれていたことがあり、関東のしょうゆ生産の中心地となった。朝には舟を出せば昼には江戸につくという地の利を生かして、しょうゆ生産地としては後発ながら飛躍的に生産量を伸ばしたのだ。1781年には「醤油仲間」という同業者組合が結成され、さらに生産は増大、現代の和食につながるという江戸の食文化を支えた。
1864年、物価高に悩んだ幕府が市場に物品の値下げ令を発した際は、しょうゆという商品の特性上、品質を下げては生産することはできないと訴えた。この訴えは幕府の理解を得、野田のしょうゆは「最上醤油」の格付けとともに、従来価格で販売する許可を得た。こうして、野田のしょうゆ生産は質・量ともに優れた業績を上げていくことになる。
1868年、東京からハワイに向けて出発した日本からの移民船に、野田のしょうゆは樽詰めで乗せられ運ばれた。このときからすでに日本のしょうゆは世界に発信されていった。

1917年、この地にあった野田のしょうゆ醸造家一族が合同して「野田醤油株式会社」を設立、これがキッコーマンの前身となる。優れた醸造家の技と知恵を結集し、より高品質で安定したしょうゆの供給をめざした。1940年までには設立当時200以上あったしょうゆの商標を、「亀甲萬」のマークに統一した。こうしてキッコーマンブランドが日本、そして世界のしょうゆとして躍進していくのである。

キッコーマンの海外戦略

日本のしょうゆの海外への輸出は古くから盛んであった。1737年から1760年までの24年間に、約15,570リットルのしょうゆがオランダ本国へ運ばれたことを示す資料も残っている。これは、年平均で約 707リットルの量であり、経由地であった中国本土、東南アジア、インド、スリランカなどに運ばれた量も加味すれば、膨大な量が早くから海外へ発信されていたことが分かる。19世紀後半になると、安価な中国産しょうゆやインドネシア産しょうゆに押され、日本産のしょうゆは在留邦人向けに留まるようになるが、一部のヨーロッパでは高品質が評価されていたという。

第2次世界大戦と共にしょうゆの輸出は中止されるが、敗戦後に日本に進駐したアメリカ軍人には、日本のしょうゆが非常に好まれた。ここにいち早く目をつけたのがキッコーマンである。
しょうゆが世界中で味わってもらえる、と確信したキッコーマンは、現地の食材や料理にしょうゆを使ってもらうことをねらって海外進出を目指す。1949年、進駐軍の許可が下りしょうゆの輸出が再開されると、早速アメリカでの販売が開始された。

肉料理としょうゆの相性の良さに目をつけ、現地のスーパーマーケットなどで試食のできるデモンストレーションを盛んに行った。またレシピを商品に付けたり、メディアでプロモーションを行ったりと、粘り強い努力を続けた結果、素材を選ばず、さまざまな料理になじむしょうゆの特徴は、現地の食文化にもすぐに浸透した。キッコーマンのしょうゆは肉料理に合う調味料として広く認識されるようになり”KIKKOMAN”がしょうゆの代名詞となった。1956年にサンフランシスコの新聞『サンフランシスコ・クロニクル』紙では、「Kikkomanは、万能調味料(All-Purpose Seasoning)である」と紹介されている。

本格的なアメリカ進出を目的として、サンフランシスコに販売会社を設立したのは1957年、1973年にはウィスコンシン州ウォルワースに現地工場を設立して”Made in USA”のしょうゆづくりを実現させた。
1980年代にはヨーロッパ、1990年代にはアジアでの成功をおさめ、キッコーマンは現在、その売り上げの約28%、営業利益の51%を海外で稼いでいるのだ。

キッコーマンの海外での成功の背景には「経営の現地化」という理念があった。企業とのつながりを重要視し、企業が現地にとって有益な存在となることを目指してきた。工場建設にあたっても、地元の企業と取引や、現地社員の登用を積極的に行った。日本人社員にも、地域の「よき市民」となるよう指導、社員同士が固まらないよう分散して住まわせ、積極的に地元の催しなどに参加刺させてきた。

地域の文化に融合し、地域の新しい価値を生み出す、その姿勢を大事にすることで日本の調味料でありながら世界中に需要を生み出し、海外で受け入れられてきたのだ。
一方で、数百年にわたって年培ってきたしょうゆの品質やしょうゆづくりの技術を守り続け、キッコーマンブランドとしての地位を各地で確立してきたことも成功の要因であろう。

「日本のしょうゆを現地の力で生産する」-キッコーマンの企業姿勢は、グローバル化の進む今日、日本が世界をフィールドに躍進していく上で大事なことは何かを教えてくれる、モデルになるのではないだろうか。近年でこそ多くの企業が海外市場へ進出しているが、しょうゆの魅力に確信を持ち、約60年前から戦略的に海外進出をしていたキッコーマンの慧眼と判断力は、今後もこの企業がグローバル市場でたくましく躍進していくことを期待させるものである。

世界有数のバイオメーカーへ-キッコーマン研究開発本部

近年は、しょうゆのみならずしょうゆを使用して作られるそのほかの調味料やレトルト食品などでも市場を開拓しているキッコーマンだが、近年はバイオメーカーとしても市場を広げつつある。

もともとしょうゆ自体がバイオ製品の中でも古いものの1つである。キッコーマンでは1904年に設立された野田醤油醸造組合醸造試験所を母体とする研究開発本部で、しょうゆのみならず酵素や乳酸菌、機能性食品などの研究を行っている。

設立当初は、当時の先端技術であった純粋培養による種麹(たねこうじ)の製造研究を行っていた。その後、しょうゆの醸造過程の科学的な研究にも着手し、品質と生産性の向上、しょうゆの安全性の証明などにも貢献してきた。1950年代にはしょうゆ醸造の研究が、しょうゆを利用した加工品の研究と、ライフサイエンスの研究へと応用され、発展する。そして今では、しょうゆ醸造で培った微生物技術は、医薬品原料や各種臨床診断用酵素の製造販売へと活用されている。

例えば、発光酵素「ルシフェラーゼ」の開発。これにより従来は2、3日かかっていた雑菌などを調べる検査が、10秒程度で行えることになり、全国500か所の保健所、また全国給食会が、衛生指導をする目的で導入するようになった。結婚式では光るシャンパンタワーなどにも利用されている。また、食品の濁りを防ぐ「タンナーゼ」という酵素は、大手飲料メーカーや食品加工会社などで使用されている。

しょうゆ製造から始まり、現在では健康をトータルに考える企業として成長を続けるキッコーマン。今後も多角的な経営と海外戦略、そして伝統を武器にした展開が楽しみである。

ライター:Hiromi Jitsukata
2012,1,19 執筆

http://www.kikkoman.co.jp
(キッコーマン株式会社)